カテゴリ: 日々の思い

オペラシティーリサイタル、終演後に山口お住まいの方に「劉薇さん、覚えていますか、山口の中原です」と挨拶されました。受け取ったお手紙には2年前に難病になり、玄米菜食で闘病中とのこと、「この度はどうしても、この目で、この耳で劉薇さんに会い、音楽を聴き、確かめたい気持ちで上京してきました」とありました。

2008年山口県長門市でコンサートした際にお会いした方で、その後、後援会会員としても演奏活動を応援してくださった。

お返事の手紙で小雑誌をいただき、病気を通しての気持ちや共通して感じることなど、互いに書きました。わたしの演奏さえきけば、きっとパワーを全身で感じ取り、元気になっていけるとのことでした。そして、これからは本当の健康と幸福を求めて頑張っていくと書いてありました。わたしの本にあることを自分の行う自然治療の基本と共通し、驚いているとのこと。わたしが独自の食事法を見つけて道を開いているなど、だから自分にも可能性があって、やっていける気持ちを書いてくださいました。

こんなにも喜んでいる方がいて、わたしも大変感動しました。それは絶対に道はあるよと信じてやってきたこの10年は、やはり道はあったことを証明しているように思えてなりません。

この方に書いた手紙をこのまま公開させてください。
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中原様: この度、東京まで11月12日オペラシテイーでの演奏を聞きにいらしていただきましたこと、心より深く感謝を申し上げます。本当にわずかな会話しかできなかったこと、心残りです。お手紙やコンサートのお祝い金を頂戴し、恐縮しています。ありがとうございました。 中原さんのお手紙を読んで、難病で自然治療を試み、体を癒されていることを知りました。2年の間はさまざまな日々があったことを想像できます。人間は生身の体でもって年月や生きる周りの環境とともに、変化をしながら生きています。それが人生なのかなあといまは思っています。わたしもどうして人間は病気をかかる人とかからない人がいるのかを追求して考えます。この体でもって遺伝子的に、また、現代人は特に病身をかがえる環境になってしまっていることも原因で、人間は病気になるのです、との結論に至っています。しかし、体を癒すことで、特に食事や考え、心を鍛えることで、すべてが好転もします。癒せば、また鍛えれば、鍛えるほど答えも見えてきます。そんなような気もしてきています。人生はなに一つ無駄なことはないと言います。わたしもいまは人生の修練の途中なのかなあと思っています。幸い音楽や食事、人々に何かを役に立てることはないかと日々考えているので気がまぎれて、悩むことも少なくなり、現在はこのように救われています。つまり、人生の目的に到達するために事が起るのかなあと自己理解しています。 中原さんもさまざまなことを取り組んできている人生と思いますので、きっと癒すことでなにかが絶対に見えてくるとわたしは思いますので、引き続き一緒に頑張りましょう。わたしの2冊目の本にあるようにいろんな試みをしました、それが現在の結果であり、わたしを強気にしてくれる根拠でもあります。 山口、長門コンサートの中心の若月さん、福田さんにもお会いしたいし、俵山温泉に滞在しながらお食事会やお話し会、またはお料理会でもと思い、来年はいけるチャンスを作りたいですね。中原さんは上京される機会があるかもしれませんとありましたので、ぜひいらしてください。

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7月26日甲府炎天下。甲府有機村にみなさん集まりました。
•病気で落ち込んでいる自分を悩みのどん底からどう這い上がる?
•自分の“感’’=直感を信じること。

現代人は諦めが早い、目移りも早い。わたしたち直面していることは、現代にありあふれる情報を正確に判断できるかどうか、です。
危機一髪で判断によってその人の運命が決まってきます。人生はプラス•マイナス、つまり表と裏は同時存在しています。悪い時はいい時。運命の舵は自分の手で握っています。つまり自分の声に傾けてよく聴き、自分の直感を信じて前に進まなければならない時があります。落ち込んでいる時、方向を失い、本当の自分の声を聞けない、聞く余裕もない。しかし、物事は時間軸の中にあり、解決するには時間の技が必要です。好転できないのか、こうにもならないのか、あにもならないのか。本当に本当に、絶対にこうはならないのか?どうすればよいのか?見えてくる“道”はないのか?という声に傾けて、何度も何度も自問自答してみてほしい。

人間は所詮生身です。生老病死は当たり前なことです。なんでわたしが?ということはない。今日はわたし、明日はあなたかもしれない。人間は生きて行く以上、生身の体はいつかは、なにか不具合になるのです。





 

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